问题 填空题

在掘进巷道时,通常采用()通风。

答案

参考答案:压入式或抽出式

阅读理解与欣赏

阅读文段,回答问题。

站在烦恼里仰望幸福

马德

  人生烦恼无数。

  先贤说,把心沉静下来,什么也不去想,就没有烦恼了。先贤的话,像扔进水中的石头,先贤甚至什么都没想,就沉静下来了,而芸芸众生,在听得“咕咚”一声闷响之后,烦恼便又涟漪一般荡漾开来。

  真是层出不穷。

  幸福总围绕在别人身边,烦恼总纠缠在自己心里——这是大多数人对幸福和烦恼的理解。差学生以为考了高分就可以没有烦恼,贫穷的人以为有了钱就可以得到幸福。结果是,有烦恼的依旧难消烦恼,不幸福的仍然难得幸福。

  烦恼永远是寻找幸福的人命中的劫数。

  寻找幸福的人,有两类。一类像是在登山,他们以为人生最大的幸福在山顶,于是,气喘吁吁,穷尽一生去攀登。却发现,永远登不到顶,最终也看不到头。其实他们并不知道,幸福这座山,原本就没有顶没有头。

  另一类人也像在登山,但他们并不刻意要登到哪里。一路上走走停停,看看流岚,赏赏霓虹,吹吹清风,心灵在放松中,得到某种自足。

  尽管不得大愉悦,然而这些琐碎而细微的小自在,萦绕于心扉,一样芬芳身心,恬静自我。

  对于心灵来说,人奋斗一辈子,如果最终能挣得个终日快乐,就已经实现了生命最本质的价值。

  有的人本来幸福着,却看起来很烦恼;有的人本来该烦恼,却看起来很幸福

  活得糊涂的人,容易幸福;活得清醒的人,容易烦恼。这是因为,清醒的人看得真切,生活中便烦恼遍地;而糊涂的人,计较得少,虽然活得简单粗糙,却因此觅得了人生的大滋味。

  所以人生的烦恼其实是自找的。不是烦恼离不开你,而是你撇不下它。

  这个世界,为什么烦恼的都有。为权,为钱,为名,为利。人人行色匆匆,背着这个沉重的布囊,装得越多,牵累得也就越多。

  几乎所有的人都在追逐着人生的幸福。然而,就像卞之琳《断章》诗所写的那样,我们常常看到的风景是:一个人总在仰望和羡慕着别人的幸福,一回头,却发现,自己正被别人仰望和羡慕着。

  其实,谁都是幸福的。只是,你的幸福,常常感受在别人心里。

1.这篇文章阐明的主要道理是什么?

___________________________________________

2.第四段“幸福总围绕在别人身边,烦恼总纠缠在自己心里——这是大多数人对幸福和烦恼的理解。”从全文看,作者对“幸福”和“烦恼”的理解是怎样的?

___________________________________________

3.第十段“有的人本来幸福着,却看起来很烦恼;有的人本来该烦恼,却看起来很幸福。”这是什么原因呢?

___________________________________________

4.第十一、二段作者用“活得糊涂”和“活得清醒”来阐释对幸福和烦恼的认识,并说“人生的烦恼其实是自找的”,这些话你是怎样理解的?

___________________________________________

5.文章的最后“其实,谁都是幸福的。只是,你的幸福,常常感受在别人心里。”读了本文,你一定会有很多感悟,请谈谈你对“幸福”的看法?

___________________________________________

单项选择题

「実は、〇〇と関係があるのですよ。それに思いついてできたのです」 どうしても解けないでいた問題を先に解いた人から言われ、それだったら、自分のほうが経験が豊富だし、知識があるし、「俺(おれ)にもできたはずなのに……」と悔しい思いをすることがある。アイデアにしても、「このぐらいのアイデアだったら、自分が考えついてもおかしくないのに」と思うことは結構、多いものである。 記憶力には、覚える力と引き出す力の二つがある。いくら覚えても、それを引き出せなければ役に立たない。しかし、覚えていないものは引き出しようがない。つまり、その両方を鍛(きた)えないと、記憶力は生きてこないのである。 (中略) コンピュータは一人の人が覚えきれない、そもそも普通なら出会うこともない膨(ぼう)大(だい)な情報を記憶しており、われわれはそれを検索エンジンによって、検索し引きだせる。しかし、人がある問題解決をしている時は、そうしてコンピュータから引き出した知識が、短期間にせよ自分の頭の中に、それまでもっていた知識とともに記憶構成されなければ役に立たない。 コンピュータがいくら豊富な知識を内蔵(ないぞう)(注1)していても、人間自身がそうして検索した知識を、覚え、関連づけ、再び引き出すという訓練をしていなければ、宝のもち腐(くさ)れ(注2)である。では、どうしたら、そういう関連して引き出せる記憶とすることができるか? 記憶力を鍛(きた)えるいろいろな本が書かれているが、残念ながら、私には特効薬(とっこうやく)があるとは思えない。 が、まず、覚える時に、理解して覚えることである。理解して覚えたことは正しく出てくる。例えば、問題を解く時でも、「あ、これは昨年解いた問題と似た問題だ」と気がついてすらすら解けることがある。しかし、昨年解いた問題をしっかりと理解していないと、関係がわからないために脳(のう)のなかで連結(れんけつ)(注3)することができないのだ。うろ覚え(注4)ではどこかに穴ができて、あとで活用することができない。 つぎに、どんなことを読んだり聞いたりしても、自分の知っていること、経験したこととの関連を思い浮かべることだ。いつも、「もしそうなら」とその役立ち方について想像を膨(ふく)らませながら新しい知識を覚えることである。それが知識への感受性(かんじゅせい)(注5)をたかめる。 記憶をアイデアや創造(そうぞう)という問題解決に生かすためには、一つ一つを覚えるときに、「わかった」と「もしそうなら」からスタートすることであろうか。(金出武雄『素人のように考え、玄人として実行するー問題解決のメタ技術』による)(注1)内(ない)蔵(ぞう)する:その中に持っている(注2)宝のもち腐(くさ)れである:せっかくいいものでも無(む)駄(だ)になってしまう(注3)連結(れんけつ)する:結びつける(注4)うろ覚え:はっきりと覚えていないこと(注5)感受性(かんじゅせい):物を感じとる力

筆者は「俺(おれ)にもできたはずなのに……」と述べているが、できなかった理由をどのように考えているか。

A.自分が記憶した方法がその問題の解決に合うものではなかったから

B.自分の今までの経験や知識をその問題と関連づけられなかったから

C.自分の方が経験や知識があると思っていたが実際はそうではなかったから

D.自分では記憶したつもりでいたことが情報として蓄(ちく)積(せき)されていなかったから