问题 选择题

如图所示,用绝缘细线将两个带有同种电荷的小球悬挂在天花板上,静止时悬线与竖直方向的夹角分别为θ1和θ2,且θ1>θ2,两小球在同一水平面内.已知两小球的质量分别为m1、m2,带电量分别为q1、q2.则下列说法正确的是(  )

A.m1可能小于m2,q1一定小于q2

B.m1一定小于m2,q1可能小于q2

C.m1可能大于m2,q1一定大于q2

D.m1一定大于m2,q1可能大于q2

答案

对m1、m2球受力分析,

根据共点力平衡和几何关系得:

m1g=F1cosθ1,m2g=F2cosθ2

由于 F1=F2,θ1>θ2

所以m1<m2.根据题意无法知道带电量q1、q2 的关系.

故选B.

单项选择题

問題10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1 2 3 4から一つ選びなさい。 我が身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大(おお)風(ぶ)呂(ろ)敷(しき)(注1)になる。言葉の風(ふ)呂(ろ)敷(しき)はいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める、①そんな錯覚に捕らえられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農(のう)夫(ふ)とかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身ひとつの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、ほんとうは②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身ひとつが天地の間でしっかりと生きることだからだ。 人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かって我が身を開いていることならできる。我が身ひとつでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質は、農(のう)夫(ふ)に与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。与えられたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分のなかで何かが育つのを感じながら。学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とかやってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物(もの)識(し)り(注3)たちの大(おお)風(ぶ)呂(ろ)敷(しき)を指して言うのではない。(注1)大(おお)風(ぶ)呂(ろ)敷(しき):実際より大きく見せたり言ったりすること (注2)ひからびて:乾ききって (注3)物(もの)識(し)り:物事をよく知っている人

①(そんな錯覚に捕らえられる)とはどういう意味か。

A.自分は何でも知っていて世界を相手にできると思う。

B.言葉でどんなことでも伝えられるような気になる。

C.学問から得られることには限界がないと感じてしまう。  

D.人間が世界から学べることはいかに大きいことかと思う。

判断题