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试述公关职能部门在组织中的地位

答案

参考答案:

公关职能部门是专门执行公关任务、实现公关功能的行为主体,是公关工作的专业职能机构。从管理作用上看,公共关系职能部门在组织总体中扮演一种“边缘”、“中介”的角色。即处于决策部门之间、组织与外部环境之间,担负着建立联系、沟通信息、咨询建议、策划组织、协调行动、辅助服务等责任。这可以从内部管理和外部经营两个方面来看。

(1)公关部门在组织内部管理中的地位。从系统论的观点来看的管理结构,公共关系部门作为一个子系统,糨的位置介于管理子系统与其他非管理子系统之间。公关部负责沟通和协调各个职能部门之间的关系。它要向各个子系统提供信息,协助分析、判断和决策,并提供相应的管理沟通服务。公关部门可以作为一个职能部门独立存在,亦可成为管理子系统的一部分。

(2)公关部门在企事业外部经营中的地位。在外部经营中,组织与外部环境存在着广泛复杂的关系。管理子系统需要与外部各界公众对象相互沟通和相互影响,公关部介于组织经与公众之间,对外代表组织,对内代表公众,通过传播活动保持组织与公众环境之间的双向沟通。

阅读理解与欣赏

阅读下面的文言文,完成下面的题。

  孙盛,字安国,太原中都人。祖楚,冯翊太守。父恂,颍川太守。恂在郡遇贼,被害。盛年十岁,避难渡江。及长,博学,善言名理。于时殷浩擅名一时,与抗论者,惟盛而已。盛尝诣浩谈论,对食,奋掷麈尾,毛悉落饭中,食冷而复暖者数四,至暮忘餐,理竟不定。盛又著医卜及《易象妙于见形论》,浩等竟无以难之,由是遂知名。

  起家佐著作郎,以家贫亲老,求为小邑,出补浏阳令。太守陶侃请为参军。庾亮代侃,引为征西主簿,转参军。时丞相王导执政,亮以元舅居外,南蛮校尉陶称谗构其间,导、亮颇怀疑贰。盛密谏亮曰:“王公神情朗达,常有世外之怀,岂肯为凡人事邪!此必佞邪之徒欲间内外耳。”亮纳之。庾翼代亮,以盛为安西谘议参军,寻迁廷尉正。

  会桓温代翼,留盛为参军,与俱伐蜀,军次彭模,温自以轻兵入蜀,盛领赢老辎重在后,贼数千忽至,众皆遑遽。盛部分诸将,并力距之,应时败走。蜀平,赐爵安怀县侯,累迁温从事中郎。从入关平洛,以功进封吴昌县侯,出补长沙太守。以家贫,颇营资货,部从事至郡察知之,服其高名而不劾之。盛与温笺,而辞旨放荡,称州遣从事观采风声,进无威凤来仪之美,退无鹰鹯搏击之用,徘徊湘川,将为怪鸟。温得盛笺,复遣从事重案之,脏私锒籍,槛车收盛到州,舍而不罪。累迁秘书监,加给事中。年七十二卒。

  盛笃学不倦,自少至老,手不释卷。著《魏氏春秋》、《晋阳秋》,并造诗赋论难复数十篇。《晋阳秋》词直而理正,咸称良史焉。既而桓温见之,怒谓盛子曰:“枋头诚为失利,何至乃如尊君所说!若此史遂行,自是关君门户事。”其子遽拜谢,谓请删改之。时盛年老还家,性方严有轨宪,虽子孙斑白,而庭训愈峻。至此,诸子乃共号泣稽颡,请为百口切计。盛大怒。诸子遂尔改之。盛写两定本,寄于慕容俊。太元中,孝武帝博求异闻,始于辽东得之,以相考校,多有不同,书遂两存。(《晋书·卷八十二》,有删改)

  【注】①麈尾:古人闲谈时执以驱虫、掸尘的一种工具。清谈时挥麈尾是玄学名士追求风神的表现。②稽颡:古代一种跪拜礼,屈膝下拜,以额触地.表示极度的虔诚。

1.对下列句子中加粗词的解释,不正确的一项是(     )

A.与论者,惟盛而已/抗:对等

B.浩等竟无以之/难:诘问

C.复遣从事重之/案:拟定

D.其子遽拜/谢:谢罪

2.下列各组句子中,加粗词的意义和用法相同的一组是(    )

A.食冷复暖者数四/君子博学日参省乎己

B.俱伐蜀,军次彭模/秦伯说,郑人盟

C.功进封吴昌县侯/其求思之深而无不在也

D.请百口切计/天下笑者,何也

3.下列对原文有关内容的分析和概括,不正确的一项是(    )

A.孙盛善于言辞,明辨事理,不畏权威,和当时名人殷浩辩论时,挥洒自如,忘记了吃饭,最终也不能有定论。

B.孙盛能够明辨是非,当王导和庾亮之间产生猜忌时,劝告庾亮不要听信邪佞小人的挑拨,化解了双方的矛盾。

C.孙盛认为州里派遣的官员缺乏应有的风神气度,致信桓温,桓温重新委派了人员,将贪赃枉法者押回了州里。

D.桓温认为孙盛在《晋阳秋》中对枋头之战的记录过于夸耀,很是生气,要求孙盛的儿子立即删掉不实的说法。

4.把原文中画线的句子翻译成现代汉语。

(1)王公神情朗达,常有世外之怀,岂肯为凡人事邪!

翻译:______________________________________________

(2)时盛年老还家,性方严有轨宪,虽子孙班白,而庭训愈峻。

翻译:______________________________________________

单项选择题 案例分析题

日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは,春や秋になると,畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり,どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。が,最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る,畳の上で家族みんなで食卓を囲む,畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば,その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。畳という言葉は,古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが,そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア),使わないときは畳んでしまっていた。つまり,「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。また,昔の詩の中に,「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており,その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと,旅で危険な目にあったり(遇险),病気になったりする,と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。やがて時代は変わり,畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり,それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち,日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。

文中に「畳は動かしても汚してもならない」とあるが,その意味はどれか()。

A.畳は動かさなければ汚れない。

B.畳は動かして汚したら大変だ。

C.畳は動かしても汚してもいけない。

D.畳は動かしてはいいが汚してはいけない。