問題10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1、2、3、4から一つ選びなさい。まず、教育とは何か、ということから考えてみよう。さしあたってぼくは、教育とは、子どもを「社会の成員(大人)としてふさわしい存在」へと育て上げていくこと、と定義してみたい。どんな時代、どんな社会の人びとでも、子どもを大人に育て上げなくてはならなかった。そのさいには、①社会の成員として「ふさわしい」あり方が何かしら想定されていて、それが教育の営みを導いていたはずだ。その「ふさわしさ」は、大きく二つに分けられるだろう。一つは、働いて食べていけるために必要な能力、つまり農民なら農民としての、漁民ならば漁民としての、技能や知識。もう一つは、他の人びとのあいだでふさわしいふるまいができること――基本的なルールを守り、他の人びとと協力する態勢をとれること、自分に与えられた役割を果たし、その責任をとれること等々、つまり、他者との関係能力である。では、現代社会においては、どういうことが「大人としてふさわしい」のだろうか?教育理念を構築するとは、このことをあらためて考え、かつ共有しようとすることに他ならない。だが、この「共有」ということはなかなかむずかしい。そこには、社会のあり方と人間の生き方をどのようなものとして思い描くか、つまりは、異なった社会観 人間観がさまざまに入り込み、衝突してくるからだ。たとえば、ぼくが最初にあげた「教育とは、子どもを社会の成員としてふさわしい存在にすることだ」という定義に対しても、②反発を覚える人がいるだろう。「それは、社会的期待に子供を添わせようとするよくない発想だ。教育とはむしろ、子供の主体的な判断力を育てるものだ」というわけである。この意見はしかし、「社会の秩序にただ従うだけでなく、主体的な判断のもとにみずからの人生をつくりあげ、社会のあり方をも批判的に検討する人間こそが社会の成員としてふさわしい」という近代的な人間観にもとづいている。これもまた、社会の側が子どもたちに寄せる「期待」の一種だと言わざるをえない。そして子供を放置すれば主体的 批判的な人間になるはずもないから、そのように「育て上げ」ようとしなくてはならない。いずれにせよ、教育というものは、社会(大人)の側が子供に寄せる期待、もっと強い言い方をすれば、ある種の強制から自由ではない、とぼくは考える。重要なことは、「この社会の一員、つまり大人として生きていくうえで何が必要な条件なのか」ということをきちんと見定め共有したうえでの強制であるかどうか、という点なのだ。 (苅谷剛彦 西研『考えあう技術――教育と社会を哲学する」による)
①(社会の成員として「ふさわしい」あり方)とはどのようなものか。
A.子供を養い、社会において責任あるふるまいができること
B.自立するために必要な能力を身につけ、自由に生きていけること
C.いつの時代にも通用する技能や知識を備え、他者に尊敬されること
D.技能や知識を身につけ、他者とのあいだでうまく生きていけること
参考答案:D
解析:解析:怎样才能作为一名合格的社会成员?在文章的第三段中,作者提出了一名合格的社会成员需要具备两个条件,即:「ひとつは、働いて食べていけるために必要な能力」「もう一つは……自分に与えられた役割を果たしその責任をとれること等々、つまり、他者との関係能力である」,就是说需掌握生存下去的必要技能和知识,并处理好和别人的关系的能力。选项4 符合作者提出的两个条件。