2.次の二つの文章からひとつを選んで中国語に翻訳しなさい。(20分)
文章2ぼくは決して消極的な人間ではないと思うが、だからといって、積極的に自分を売って歩いたことはない。ぼくは広告代理店に勤務していた時から、ツマラナイと人が言う仕事ほど懸命に取り組み、ツマラナクナイものに仕上げるか、もしくは、ツマラナイ仕事をぼくにやらせたことをもったいないと感じて貰うか、どっちかだと思っていた。価値も高く、内容も面白く、条件にも恵まれている仕事が、そうそうあるわけがない。ましてや、新入社員に任される企画など、実現の可能性の薄い、ツマラナイものにきまっているので、あとは、ぼく自身がとんでもない値打ちものに仕上げるしかないからである。それを広告代理店で7 年つづけた。その頃のぼくの禁句は「ぼくには才能がある。ぼくに無いのはチャンスだけだ」という言葉であった。この言葉を一度使うと、常に使って自分を慰さめたくなるからである。しかし、ぼくのそのようなゴミの企画に対する無駄な抵抗を見ていてくれた人がいて、放送作家の道を绍介してくれた。そして、その放送作家の仕事も、ツマラナイといえば同じだった。書き流しをすれば、いくらでも流せる程度のものであったが、ぼくは小遣い稼ぎではないという意志をしらせるために、コントなどにさまざまな工夫をし、それを別冊のようにして付け加えたりした。すると、あのアイデアを詞に活かしたらと思ってくれる人がいて、作詞への道が開ける。そこで初めて、ツマラナイものへの修正をしないで済む、自分の才を表現する仕事が見つかった。生きることも、仕事をすることも、すべて他者や時代との相対的なもので、たとえば、転機という捉え方も、自分の意志とか激情だけでうまくいくものではないと、ぼくは思っている。転機と捉える一点の、その前の何年間かを如何なる哲学で仕事に対していたかが大切で、仕事を変える、人生を変えるのも、多くは時代や社会に変えさせられたところが多いのではないかと、ぼくは確信している。
参考答案:我认为自己决不是消极的人,但也从不积极地推销自己。我从在广告代理店工作的时代起,越是别人说没意义的事我越是拼命地去做,我当时的想法是,或者最后干成一件没有意义的事情,或者让人感觉把那么没意义的工作让我干太屈才了。有价值,内容有意思,条件也好的工作不会总有。更何况是让新来的人去干的企划等,肯定都是实现的可能性很小,没有意义的事情,所以其后就只能自己去把它干成一件毫无价值的事情。我在广告代理店一直干了7 年那样的事情。那时我最忌讳的话是:“我有才能,缺少的只是机会。”因为只要说过一次,以后就会总想用这样的话来安慰自己。但是,有一个人看到了我对那种垃圾企划的无谓抵抗,为我介绍了广播作家的工作。要说没意思,那个广播作家的工作照样没意思。只要不断地写,随便写多少都行。为了表明我不是来赚零花钱的意志,我想出各种办法弄成短篇等,并把它们像增刊那样加进去。这样一来,有个人觉得我的点子可以用在作词上,于是开辟了我走向作词的道路。直到走到这一步,我才不必要去修改那些没意义的东西,才开始找到表现自己才能的工作。无论是生活还是工作,都是和其他人及时代相比较而存在的,比如对人生转机的看法,我认为光靠自己的意志或激情是不行的。我确信,在认为是转机这个转折点之前的几年以什么样的哲学对待工作是非常重要的,无论是工作和人生的改变,许多情况下它们都是被社会改变的。